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2014年11月 8日 (土)

手打ちを実現する一手を考える

 昨日の続きをもう少し書いておきたい。もう両者が仲直りすることはできないのかということにつき、3つほど手打ちに向かう“パターン”があると思う。一つは、現社長に心境の変化が生じて、中村教授と会ってもいいと思うようになること。これは、時間の経過が怒りや憤りといった感情を鎮めてくれる場合である。が、「いつまでもこんな負の感情を持っていても仕方ないな」と思うに至るかどうかは、社長次第となり何とも言えない。

 二つ目は、両者をよく知る仲介者が、手打ちを取り持つというパターンである。お互いの言い分や感情を理解した第三者が、どちらか一方に肩入れすることなく、両者に握手をさせるということだ。しかし、これもその場面を想像すると、なかなか大変に思える。料亭かどこかで“手打ち”式の開催にこぎつけたとしても、そこでお互いの主張が再度ぶつかるようなことがあれば、折角の“手打ち”式が罵り合いの場に転じてしまう可能性もゼロではないだろう。そのようなシナリオのリスクを抱えた役回りを引き受ける人が、果たして出てくるだろうか。

 三つ目は、「自分は悪いことは一切していない」という中村教授が折れて、社長に謝罪をするパターンである。ここのポイントは、悪いことをしたから謝るのではなく、結果的に社長の感情を害してしまったから謝る、とすることである。これが、中村教授が受け入れることのできるギリギリの線ではないかという気がする。もちろん、謝罪の意を示したからといって、相手が受け入れるとは限らず、関係修復には時間がかかる。次のような例がある。

 
何が原因かは公表されていないと思うが、独立して幻冬舎という出版社を1993年に立ち上げた見城徹さんと、作家の林真理子さんとの関係がこじれたことがあった。見城さんの著書にその記述がある。

《(林真理子さんとは)幻冬舎を設立して一年後ぐらいに、あることで大喧嘩になった。全部僕が悪いんだけど、いつもはすぐ元通りになるんですが、そのとき以来、絶縁状態になった。親し過ぎたんだね。距離がとれなくなっていた。ずっと後悔している》
(『編集者という病』(2007年発行、見城徹著、太田出版))

 
ところが、たまたま2012年に観た『アイアンシェフ』(フジテレビ『料理の鉄人』の復活版)というテレビ番組で、お二人が審査員として仲良さそうに登場している姿が映し出され、私はいつしか関係が修復されていたことに気がついた。見城さんの本がブラスに作用したのかどうか分からないが、《ずっと後悔している》という部分が、雪解けに繋がったのではないかと想像するのである。これは参考となりうる一つの例だが、後悔や反省といった気持ちを明確に相手に示すことが、手打ちに繋がっていくのではないかと思う。

 昨日から日亜化学工業(の社長)と中村修二教授の関係について縷縷書いてきたが、中村教授のノーベル賞にケチをつけるつもりは全くない。私は、青色LEDの開発は素晴らしく、ノーベル賞の受賞も喜ばしいことだと素直に思っており、今回の一件があっても、中村教授の実績がいささかも輝きを失うものではない。ただ、人間関係という観点で考えさせられたので、私なりの見方を纏めた次第である。

(11月8日記)

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