« 高齢者不在の賞品キャンペーン | トップページ | (再び)妻のユーモアセンス »

2014年9月20日 (土)

口に出さない我慢力

 人づてに聞いた話である。ある催事場でのこと。売り場の店員が、お中元か何かを贈るために来店したお客さんから注文を聞き、「こちらでよろしかったでしょうか?」と注文の品を確認しようとしたところ、次のように指摘されたそうだ。

“よろしかった”っていう過去形はおかしいんじゃない?“よろしいでしょうか”と言うべきでしょう」

 相手はどうも国語の教師だったらしい。店員は、思いもかけぬことを言われて驚き、とにかくすぐに謝ったそうである。その場の雰囲気やそのお客さんの口調は定かではないが、もし私がこの店員の立場だったら、一応謝りつつもかなり不機嫌になってしまう気がする。

 こちらは私が体験した別の例である。ある行政機関の窓口に行った時のこと。申請したい事項があったので、必要書類の空欄を埋めて担当者に提出したところ、「このアンケートにもご記入下さい」と紙を渡された。何だろうと思って表題を見ると、《○○○に関する確認書》と記載されていた。読めば、その確認書に必要事項を記入し署名しないと申請が通らない趣旨のものであった。そうと知った私は、心のなかでこうつぶやいた。

「これって、“アンケート”じゃないでしょう?アンケートは任意で記入するものだけれど、この確認書は出さないわけにはいかないから、そういう性格のものではないでしょう」

 私は一言間違いを指摘しようと思ったが、すでにその担当者は窓口を離れ、姿が見えなくなっていた。そして続けて思ったのである。「行政機関なんだから、もっと言葉は丁寧に扱って対応すべきです」

 私は比較的言葉にはうるさい方だと自覚をし、かつそれをよしと思ってきたのだが、催事場の一件を聞いて、少し考えを改めた。何でもかんでも誤りを指摘するのが良いとは限らないかもしれない。言われた相手は、些事にもかかわらず傷ついたり、不愉快な思いをするからである。重大なミスであれば、遠慮なく指摘するべきだと思う。しかし、贈り物の品物が違っていたり、違う書式の申請書に記入させられたりといったミスでなければ、目くじらを立てることもない、そう思うようになった。

 ここまで書いてきて、追加しようという気になった思い出が蘇ってきた。以前私が上梓した本を読んで、「(文中の)“ファーストフード”は間違いで、正しくは“ファストフード”です」とわざわざメールを送ってきた読者の方がいたのである。私は、有り難いフィードバックだと受け止めると同時に、恥ずかしい気持ちになってちょっと落ち込んだ。が、「そこまで細かい指摘は要らないのでは?」とも思った。今でもその考えには変わりがない。何か正しさの基準があるのかもしれないが、果たして一律に、“アイデア”は○で、“アイディア”は×なのだろうか。

 以上に挙げたような事例を通して思うようになったのだが、何でもかんでも誤りを正そうとするのはあまり誉められたことではなく、誤りの軽重によっては、『口に出さない我慢力』が求められるのではないだろうか。人間は一般に、一見(いちげん)の相手に対しては無遠慮な態度を取る(取ってよいと考える)傾向がある。そこで、見知った人に限らず、一見の相手に対しても『口に出さない我慢力』でもって自制できる人が多くなれば、日本は穏やかな心で生活できる住みよい社会になるような気がする。人のことばかり言えないが、自分の言動をもっと節度あるものにしようと思うようになった。

(9月20日記)

« 高齢者不在の賞品キャンペーン | トップページ | (再び)妻のユーモアセンス »

人間関係」カテゴリの記事

生活全般」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/573382/60332843

この記事へのトラックバック一覧です: 口に出さない我慢力:

« 高齢者不在の賞品キャンペーン | トップページ | (再び)妻のユーモアセンス »