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2014年9月12日 (金)

数字3の話その①:三角形の一辺は無関係

 私は昔から、濃い人間関係を好まないところがある。人の噂話にあまり関心はないし、プライベートな領域について興味本位で突っ込んだ質問をすることもまずない。そのために一方では、大切にすべき人と適切な距離を取れているのか微妙でもあるのだが、人間関係で悩むことは殆どない。特に会社を辞めてからは、こうした傾向に拍車がかかっている感がある。少々淡泊な私にとっては、人間関係は後ろにできた“結果”であって、縁がなかった人や相性の合わなかった人とは、付き合いが続かなくても仕方がないと割り切らざるをえないと思っている。

 こんな私だが、以前本を読んで、もっとドライに人間関係を捉える見方に遭遇した。キーとなる文章は、「三角形の一辺は無関係」である。これは、知る人ぞ知るひろさちやさんの著書、例えば『阿呆のすすめ』(2009年発行、青春出版社)や『けちのすすめ 仏教が教える少欲知足』(2009年発行、朝日新聞出版)に、“ひろさちやの定理”として紹介されているものである。言葉だけではさっぱり意味が伝わらないと思うので、私なりに説明をしてみたい。

 例えば、勤め先で自分が部下を二人抱えていたとする。その二人が何かをきっかけに喧嘩をしたときに、上司としてどうするか。このとき、ひろさちやさんは「かかわるな」というのである。なぜならば、自分と二人の部下を頂点とする三角形を描いた時に、こじれている所は自分という頂点から離れた一辺だからである。これをひろさちやさんは、「三角形の一辺は無関係」と称している。

 今は耳にしなくなったが、一昔前よくあった嫁姑問題もこれが該当するものである。嫁-姑間のトラブルや喧嘩に男は「かかわるな」というわけである。これは確かに一理ある。良かれと思って介入しても、「あなたはどっちの味方なの?」と双方から言い寄られて、問題解決どころか自分が追い詰められる結果になりかねない。そもそも、他人同士の問題を自分が解決できると思うのは、思い上がりではないかという気がする。

 
「三角形の一辺は無関係」の本質は、余計な人間関係で悩む必要はない、ということである。自分が当事者でない人間関係については、割り切ってしまってよいとする。私自身を振り返ると、普段からややこしい人間関係には首を突っ込まないし、人にお節介を焼いたりもしないから、この定理を日々の生活でかなり実践していると言えるかもしれない。

 もちろん私は、いかなる場合もその一辺を切り離す、と頑なな態度をきめこんでいるわけではない。人から真剣に相談を受ければ、その時点で当事者に極めて近い存在となるため、自分なりの知識や知恵、人生経験をもとに、「こんな風に考えられるのでは?」と私見を伝えることはある(それで知人から感謝されたこともある)。ただし、あくまで、問題を解決できるのは当の本人である。私にできるのは、相談をしてきた人に気づきのヒントになりそうな材料を、そっと差し出すことくらいである。

 最後にもう一言。もしこのブログを読まれた方で、「三角形の一辺は無関係」を早速活用した結果、人間関係に支障を来たすなどかえって状況が悪化した人がいたとしても、私を責めないで下さい。「三角形の一辺は無関係」ですので、悪しからずご了承願います(こういう逃げの姿勢、ディスクレーマーは良くないかなぁ……)


(9月12日記)

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