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2014年9月 9日 (火)

「~ように見える」と伝える注意の技法

 歳を重ねると若い世代に対して何か言いたくなるのは、人間の性だろうか。今の若者は打たれ弱いと言われることが多い。私も会社員時代、「親から怒られたことがありません」という部下を持ったことがある。「どんだけボンボンやねん!」と心の中で突っ込みを入れたが、“子どもは褒めて伸ばす”という一時の風潮がゆきすぎた例かもしれない。

 このように打たれ弱い、よく言えば優しくナイーブな若者に注意する場合、どうすればいいかを考えてみる。ただでさえ、怒られる、叱られることに対する免疫がないのだから、注意する側も注意しなければいけない(面倒くさい表現だが)。分かりやすい例として、教える立場の人が騒いでいる生徒を黙らせたい時、どう言えばいいだろうか。どうも、ストレートに「黙りなさい」「静かにしなさい」というのは、賢いアプローチではないようである。本に、次のような一節がある。

《学校では昔から「こうしなさい」「こうしてはいけません」と、動き方で生徒を指導してきた。ところが、生徒たちに注意できなくなってしまった。どうやら私語の注意も彼らには全人格を否定したかのように受け取られるらしいということがわかってきた。それくらい彼らの自我は「外」からの攻撃に弱くなったのであろう。「オレ様化」したというゆえんである。昔の生徒の自我より脆くなったのである。
 それから私は生徒とのトラブルを避けるために、「○○君、しゃべっているように見える。一度注意します」という「注意」をするようになった。このことを業界外の人たちに話すと必ずドッと受けるのだが、ジョークで考えついたものではない》

(『オレ様化する子どもたち』(2005年発行、諏訪哲二著、中央公論新社))

 そう、免疫がない人は、他人に叱られると自分が全否定されたように重く受け止める傾向があるようである。なので、しゃべっている人に対して、「しゃべっているように見える」とまず現象面の指摘をするところから入るのがミソとなっている。これはなかなか巧いやり方ではないだろうか。

 
巧いやり方と書いてはみたものの、企業などの組織で中間管理職以上の立場にある人が、目下の者に対してこのような配慮をしなければいけないとすれば、なんと面倒なことであろう。十代後半~二十代の若者にこのように接することが当たり前になるような社会には、どうも違和感を覚えてしまう。日本ではスパルタ教育は絶滅したと思うが、そんなヤワな社会になるくらいなら、幼い頃から親や周囲の大人が子どもをガンガン叱る社会の方が、後々逞しい人間が育つのではないだろうか。粗暴でガサツな社会にも、長期的に見れば教育効果を期待できるかもしれない。

 
今日は教育関係者でもない私が、人の著書の論説に乗っかって、勝手な意見を展開してしまったようである。でも、「勝手なことを書くな」とは言わないで下さい。「勝手なことを書いているように見える」と注意をして頂ければ嬉しいです(笑)。

(9月9日記)

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