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2014年8月21日 (木)

コンビニ弁当に思う(その1)

 7月19日のブログ「ピントがずれた健康観」において、コンビニ弁当の食べ過ぎによる《真緑色に輝く便》のことを書いたが、別の本でまたゾッとするエピソードに遭遇した。出典は、『食品の裏側2 実態編』(2014年発行、安部司著、東洋経済新報社)である。

10年ほど前、福岡県の養豚農家で死産が続いたことがありました。やっと産まれてきた子豚も奇形だったり、虚弱ですぐに死んだりしたのです。羊水はコーヒー色に濁っていました。
 農場主は、実は豚の妊娠期間である114日前から、コンビニの廃棄弁当を与えていました。弁当は消費期限の2時間前に廃棄しますから、腐っているわけではなく、農場主が食べても問題のない品質だったそうです。人間で言えば三食すべてをコンビニ食にしたのと同じことです。
 農場主は合わせて250頭の子豚を亡くし、慌てて元の穀物に替えたところ、お産は元に戻ったというのです。(中略)
 これらをすべて、「添加物のせいだ」と短絡的に決めつけ、煽るつもりはありませんが、「添加物のせいではない」と言い切ることもまた、難しいと思います》

 
今の私は、月に一回程度しかコンビニを利用しないが、コンビニが提供しているお弁当などの食品への不信感が、足を遠のかせている一因になっているのは間違いない。私は現在、外食も中食(弁当のこと)もあまりせず、食事は家での自炊を基本としている。自分ではごく普通だと思うのだが、こうした生活スタイルは少数派なのかもしれないと認識を改めるようになった。次のような文章がある。

《あるお母さんが、中学生の娘が持って帰るお弁当箱がきれい過ぎることに気づきました。娘に尋ねて真相がわかったそうです。お母さんが一生懸命につくったお弁当なのに、「あの子見てごらん、コンビニの弁当も買えないんだよ。あたしたちとは格が違うね」と見下されたそうなのです。だから、その子はお母さんに見つからないように、登校途中のコンビニでお母さんの弁当を捨てて、そこでお弁当を買って学校に行っていたのです。いったい彼女たちのいう「格」とはなんでしょうか?
 
 二00種類の添加物の入ったコンビニ弁当のほうが、お母さんが早起きして作った手作り弁当よりも価値が高いという感覚です。そんな価値観を子どもは持ちつつあります》
(『なにを食べたらいいの?』(2009年発行、安部司著、新潮社))

 
私が子どもの頃は、手作り弁当の方がはるかに多かったと記憶しているので、この文章には目を疑った。娘さんの周りが口にした「格」とは、“コンビニ弁当を買うだけのお金がある方が格上である”という価値観だろうか。私たちが当然視している価値観は、実に狭量でテキトーだなあと感じさせる例である。もちろん、子どもたちの価値観には、日頃接している大人たちの価値観が反映していることは言を俟たない。大人に大きな責任がある。

 
整理すると、この中学生たちには認識の欠如・間違いが大きく二つある。一つは、「コンビニ弁当には添加物が含まれており、摂りすぎは健康に良くない(恐れがある)」という認識の欠如。二つ目は、「コンビニ弁当は手作り弁当より格上である」という誤った認識である。学校の勉強やクラブ活動で学ぶことも重要だが、しっかりと長い人生を生きていく上で知っておくべきことは他にもある。コンビニ弁当は一例だが、子どもの頃から自分で情報を入手し、自分の頭で考える癖をつけ、自分なりの価値観を醸成していくことが、大変難しいことだが、大切だと思う。

(8月21日記)

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