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2014年8月24日 (日)

夫婦の仲がきしむ時

 今月14日、15日に続き、三度目の『ヒコベエ』登場である。この本には算数の話、セミの話以外にも、是非紹介しておきたい話があった。夫婦仲についてである。ヒコベエのお母さんは、かの藤原ていさんで、満洲からの命からがらの逃避行を記したノンフィクション『流れる星は生きている』(1949年発行、日比谷出版)の著者である。この『流れる星は生きている』はベストセラーになったそうだが、今読んでも内容が本当に感動的で、人間には希望の灯があれば艱難辛苦に直面しても乗り越える力があることを教えてくれる。息子の正彦さんが書いた『ヒコベエ』には、この本の原稿を藤原ていさんの夫(ヒコベエの父親)が初めて読むシーンが次のように描かれている。

《昭和二十三年の暮に、大学ノート二冊にびっしりと書かれた母の引き揚げ記録が完成した。ある夜、子供達が寝静まった頃に母がおずおずと切り出した。

「お父さん、これ読んでくれますか。子供のために残して置こうと思って書いた引き揚げの記録ですけど」

「お前が何やら書いていたことは知っていたが、そんなものだったのか。もちろん読むよ。何が何でも読みたいくらいだ」

「ありがとう。つまらないものでも笑わないで下さいね。子供達への記録として書いただけなんだから」(中略)

父は黙ったまま何時間も読み続けていた。(中略)微かな静寂の乱れに目を覚ました母のうすく開けた目に、一心不乱に読み続けている父の横顔がぼんやり見えた。こんなに遅くまで読み続けている、というのは読むに足るものだったのかも知れない、などと思いながら再び目を閉じると、ふと、かすかな水滴の音が聞こえるような気がした。父の涙が大学ノートに落ちる音だった。満洲で母子四人に別れる時にも、北朝鮮でシベリアへ連れて行かれる時にも、無事帰国し上諏訪で再会をとげた時にも見せたことのない涙だった。初めて見る父の涙に母はびっくりし、当惑し、ついでいろいろの思いがこみ上げ、布団を頭までかぶると押し殺すような声で泣いた》

(『ヒコベエ』(2010年発行、藤原正彦著、講談社))

 妻の書いた文章を読んで夫が涙を流すというのは、そうそうあることではない。お二人の間には、絆や信頼という言葉では足りないかもしれない、とても固いものがあったに違いない。私はお二人に、理想的な夫婦の姿を見出したような気がした。ところがである。『ヒコベエ』を読み進めると、こんな素敵な夫婦の仲にもきしみが生じるのである。きっかけは、『流れる星は生きている』が飛ぶように売れ、著者に会いに自宅へひっきりなしに訪問客が来るようになったことであった。とても長くなるが、引用してみたい。

《初めは母の苦労が報われたような気分だった父も、これが続くと少しずつ鬱憤がたまっていった。明治生まれで古風な考えを身につけた父にとって、夫が妻の来客にお茶を運ぶ、というのが屈辱に思えてきたのである。(勤め先の)中央気象台でも、

「奥さんすごいなあ。俺も女房に食わせてもらえるような身分になりたいなあ」

などとしばしば言われるようになった。(中略)

「俺は、来客は一時的なものと思っているんだ。ブームなんていうものは長続きするもんじゃない。人の噂も七十五日と言うじゃないか」

「もう二月ほどたったけどまだ続いているわ。あと十五日待てば来客は減り始めるんですね」

母は少し苛立ったように口を曲げた。

「いや、大体そんなものということだ。そろそろ減り始めることは確かと思うけど、どんな勾配の曲線を描いて行くかは分からない」

母をとりなそうとして、父は科学者らしい解説を加えた。

「何よその曲線の勾配って」

何だ、そんなことも知らんのか。曲線の微係数のことだよ

 これが母の癇に障った。上級の学校に進みたかったのに家庭の事情で女学校までしか行けなかったことが、母の強い劣等感となっていることを、父はよく理解していなかったのである。

「そんなこと知るもんか」

 プリプリした母を面白がった父はからかうつもりでこう言った。

あれ、才媛ぞろいの諏訪高女で一番じゃなかったのか

「あっ、バカにしたわね」

 母は本気に目をむいて父を睨みつけた。そして続けた。

「そこまで言うんなら私だって言わせてもらいますよ。この間お兄ちゃんが広場で年長の子に、『お前のお父さんは課長じゃないんだろう』と言われたんですって。部長と課長ばかりの官舎で、私も子供達も肩身の狭い思いをしているんですからね

 父はうなだれた。一番痛い所をあからさまに攻撃されたからだ。実際、官舎の住人の多くは、東大理学部出身で理学博士号を持っていた。(中略)父は昇進において彼等に次々と抜かれていたのであった。本来負けず嫌いの母は、このため口惜しい思いをさせられていたから、夫婦喧嘩が始まるとしばしばこれを持ち出しては父を黙らせた。

 母のあからさまな物言いが今回は特に父にこたえた。母が有名となり収入までが父のそれを超し、父に来客の接待までさせていたからである。

 父と母の間に重く冷たい沈黙がたちこめた。どのくらいの時がたった頃か、父がおもむろに言った。

「お前も変わったなあ」

「どう変わったって言うのよ」

「口のきき方だ」

「昔からこの通りです」

 父は静かに、しかし眼の奥には深い怒りを湛えて、

「収入が多いというのはそんなに偉いことなのか」と言った。

 母は押し黙った。色々なことが思い出された。先日、夕飯を食べながら父が、

「役所で、名刺に『藤原てい夫』と書いたらどうかと言われたよ」と言ったので、

「みんな無責任なことを言いますから気にすることないですよ」

と答えた時だ。いきなり険しい目になった父は、顔を紅潮させて言い放った。

「お前に慰められるつもりはない」

 環境の激変に翻弄されていたのは、家にいる母と子供達だけではない。父も同じだったのだ。

 しばらくの無言の後、母が口を開いた。

「ごめんなさい。つい興奮しちゃって。仕事はどんどん増えるのに身体がままならなくて」》

(『ヒコベエ』(2010年発行、藤原正彦著、講談社))

 引用は以上である。夫婦の激しいやりとりが目に浮かぶようで、胸が痛くなる。関係悪化のおおもとは、『流れる星は生きている』の大ヒットによる環境激変にあるのだが、私はお二人が、相手の痛いところを容赦なく攻撃したことがまずかったように思う。それは具体的には下線を付した箇所の発言になるのだが、夫にも妻にも、不本意な学歴に起因する拭いがたいコンプレックスがあり、そこに塩を塗り合ったことが関係を悪化させたのだ。

 この話を一般化して論じてみたい。「夫婦は遠慮し合う関係ではなく、本音を言い合うのは許される」と思われるかもしれないが、私は別の見解である。本音を言い合うのが良い夫婦では決してなく、“本音は包み隠す”のが良い夫婦仲の秘訣だと思っている。とくに相手のコンプレックスや変えようのないところについては、口にすべきではない。本音を言えば一時的にはスカッとするかもしれないが、言われた相手は深く傷ついてしまうからである。逆に、そういうことを口にしなければ、言わないという配慮・優しさがそれとなく相手に伝わって、さらに深い思いやりが相互に育まれると思うのである。

 なんだか偉そうなトーンで書いてしまったが、誤解を招かぬように補足しておくと、ヒコベエさんのご両親を批判したりあげつらうような意図は全くない。「こんな素晴らしい夫婦ですら……」という例として挙げさせて頂いたまでである。私自身、人生の要諦や人の心の機微を語れる長老でも何でもないが、私も妻も険悪なムードが大嫌いで、実際に私と妻は五年に一度も喧嘩をしないため、今日はこれくらいのことは書いてもいいだろうと思った次第である。

 そう言えば、8月10日のブログ《約半年ぶりの健康診断データ》にあるように、私の体重は適度な運動によりかなり減ったのだが、ある時、私の体重が妻の体重に急接近したことがあった。それを知った妻は、一瞬言葉を失った。妻のショックを見逃さなかった私は、「ここは対応を間違ってはいけない」と思った。爾来私は、体重の話題は妻には持ちかけないように、本音は言わないように気をつけている。

(8月24日記)

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