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2014年7月 9日 (水)

元上司との大切な思い出

 先日、海外赴任を終えて日本に帰国された方を囲んで飲む歓迎会があった。私が金融機関に勤めていた頃、大変お世話になった元上司で、幹事さんがわざわざ私にも声をかけてくださったおかげで、数年ぶりに再会を果たすことができた。ここからはこの元上司を“Wさん”と表記させて頂く。Wさんは当時、職場の誰に聞いても、「人の気持ちがよく分かる人」、「とてもいい人」、「悩みごとや困りごとの相談を逃げずに聞いてくれる人」と、同じようなトーンの人物評が返ってくるお人柄であった。

 
そんなWさんと私が上司-部下の関係だったある時、外出先でポロッと語られたことが、今も私の頭の中に残っている。次のような話であった。

 
時は、1990年前後のバブル期(であったと思う)。金融機関は業績拡大競争に明け暮れており、私の勤務先も例外ではなかった。収益や事業基盤につき高い目標が本部から営業拠点へ示達され、各営業拠点では数字がブレークダウンされ、営業担当者にノルマが張られていた。そのノルマの中に、クレジットカードの新規契約件数という項目があった。

 W
さんはとても営業センスのある方なので、相当実績を上げられたであろうと私は推察していたのだが、Wさんは当時を振り返ってこう仰ったのである。

 
「契約件数が目標に足らなくて、思いに思い詰めていると、街で警察の交番が目に入ってきた。そこで、交番に飛び込んで、警察官にカードの申込書を書いてもらおうかと思ったことがある」

 
おそらく、友人・知人への頼み込みは限界に来ていて、担当地盤内での新規顧客開拓も一巡してしまっていたのだろう。とにかくあの頃は、高いノルマ設定が社内的に当たり前であった。「このWさんでさえ、そこまで追いつめられていたのか」と、私は信じられない思いで話を聞いていた。

 
そこまで営業現場を追い詰める企業というのは、冷静に考えれば企業体質や経営戦略に無理があったと思うが、無理が通れば道理が引っ込んだ時代であった。同様のしんどさは同業他社でもあったに違いないが、それでも大きく社会問題化せずに何とかなっていたのは、景気が良くて、“売上増が全てを癒す”といった空気があったり、金融機関の給与・待遇が恵まれていたためだろうと思う。

 W
さんが私に披露してくださった話は、不幸自慢をしようとか、先輩風を吹かせようという趣旨のものではなかった。あえて昔のエピソードを語られたのは、仕事で苦戦していた私を慰めたり、静かに鼓舞しようとしてくれたのかもしれない。Wさんの狙いというか、私はそのあたりを確認しないまま今に至っており、冒頭の帰国祝いの会でも、十名弱の輪のなかで、私はこの話題を切り出すきっかけをつかめなかった。しかしこれは、Wさんと私を繋ぐ大切な思い出として、私の胸の中で生きている。これからも生き続けると思う。

(7月9日記)

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