« 日本人の一人行動を考える | トップページ | 妻のトラップ »

2014年6月11日 (水)

東京ディズニーランドで感じてきたこと

 六月某日、機会に恵まれて妻と二人で東京ディズニーランドに行った。混みそうな日を避けて朝早くから入ったものの、日中三十℃を超える暑さにも関わらず、園内は昼前には大勢のお客さんで溢れかえっていた。四十代の私と妻は、活動量こそ昔より落ちたが、妻が事前の下調べを入念に行うようになり、回りたいところには最低限“済印”をつくことができた。

 
私が東京ディズニーランドに初めて足を踏み入れたのは、198485年頃、高校生時代に遡る(と記憶している)。まだ開園から年月が経っておらず、人気アトラクションには長蛇の列ができていた。当時の人気ナンバーワンは『スペースマウンテン』で、1時間半~2時間待ちが当たり前であった。

 
この初めてのディズニーランドで、私は高校生ながらにとんでもないことを感じていた。それは、「アメリカとの戦争で散々な目に遭った日本人が、アメリカのテーマパークをのほほんと受け入れるとは、精神までも骨抜きにされたのだなあ」というものであった。「ディズニーランドのある現在が、戦争で無念にも亡くなった日本人が生きたかった未来なんだ」とも思った。情けないとか憤慨するとか、そういう血気を伴う感情ではなかったが、私は目の前の現実を現実と受けとめながら、人には言えない複雑な思いを抱いて、楽しげで珍しげな様子は欠かさないように園内を見て回ったのを覚えている。

 
社会人になってからのディズニーランドでは、別のことが気になり始めた。“男子の女子化”とでも言えばいいのだろうか。若い男の子(中学生~大学生)がミッキーマウスやドナルドダックの帽子をかぶるなど、女の子と見まごうばかりの格好をするようになっていたのに驚かされた。ディズニーランドは夢の国なのだから、人それぞれ自分の趣向で楽しむのは一向におかしくないのだが、古い人間の私は、女の子の趣味にしか見えないものを男子が取り入れていることに、強烈な違和感を覚えた(これは見慣れるのに時間がかかった)。

 
そして近年、ディズニーランドで別のことを感じるようになった。これには二つあり、一つは「アジアからのお客さんが増えたなあ」ということである。若い人や家族連れが多く、アジアの新興国で消費意欲が旺盛な層が厚みを増しつつあることを感じる。もう一つは、「贅沢な娯楽になったなあ」ということである。入園料は一貫して上がってきており、現在は6,400円(1デーパスポート)に達している。食事やお土産代まで含めると、一人一日1万円コースである。新しいアトラクションの導入に多額の資金を要すること位は理解できるが、子どもから若年層まで気軽に楽しめる料金ではなくなってしまったのではと、残念に思う。格差の拡大が憂慮される今の時代にあって、余計に気になっている(さらに余計なお世話だが、お金がない若い人達は、バイトなどしてお金を捻出するのだろうか)。

 
遊びに行くたびにこんなことを頭のどこかで感じていては、私は童心に返るどころか、心の底からディズニーランドを楽しめていないのかもしれない。が、以前こんなことを体験した。隣接するディズニーシーでのこと。『タートル・トーク』という参加型アトラクションに入ったのだが、ショーが始まるなり、人間の言葉を理解できるウミガメのクラッシュに見初められ(?)、「前から3列目の左から3人目、黒い服を着た男の人!!」と私が指名されたのだった。『タートル・トーク』の演出が分かる方にはその後の展開は推して知るべしだが、指名を受けた後、私は周囲の観客を先導する形で、両手を挙げながら「ウオーッ!!」と何度も雄叫びをあげることになった。

 
隣に座っていた妻はショーが終ると、「あーヤダヤダ。恥ずかしい~」と言いながら、ネタにされた私を笑い倒した。私は「目立たないようあえて黒い服を着て行ったのに指名されるとは……でも妻の笑いを誘ったのだから、結果オーライということで、まあいいか」と自分を納得させた。かつてはディズニーランドを「日本人の精神までも骨抜きに…」とか思っていた堅物系の人間も、中年のおじさんになり、なんだかんだ言って楽しい時間を過ごせるまでに成長(?)したのである。

(6月11日記)

« 日本人の一人行動を考える | トップページ | 妻のトラップ »

」カテゴリの記事

日本・日本人論」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/573382/59787224

この記事へのトラックバック一覧です: 東京ディズニーランドで感じてきたこと:

« 日本人の一人行動を考える | トップページ | 妻のトラップ »