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2014年6月 7日 (土)

ギャンブル雑感

カジノで巨額のお金を失った大王製紙前会長・井川意高さんの懺悔録『溶ける』(2013年発行、双葉社)を読んだ。本の初めの方で、《最終的に私がカジノで負けた総額は106億8000万円にまで膨らんでしまうことになる》という文章に遭い、しかも同じ大学の先輩にあたる方だったこともあり、関心を持って読み進めたが、素顔は意外なほどに“自然体”という言葉が似合うお方だった。井川さんは特別背任罪で逮捕され服役中の身だが、本からは悪事を働いた犯罪者の臭いがしてこなかったのである。

 
興味深いことだが、《父は倹約家だったため、小学生の息子にホイホイ何でも買い与えてやるような甘やかした教育はしなかった》とあるように、井川さんは優しくどころかむしろ厳しく育てられたようである。なのに、なぜギャンブルに嵌まり転落してしまったのだろうか。

 
井川さんは自分自身を振り返り、ギャンブルにのめり込んだ要因として、①瞬間湯沸かし器のような荒っぽいところがある一方、慎重さに欠けた性格であったこと、②ギャンブルやお酒に走りやすい強迫気質であったこと、の二点を挙げておられる。そうすると、著書にはこういう表現は出てこないが、動かしようがない遺伝的な要素もギャンブルに溺れた背景にあったのではないか、と感じられてくる。

 
しかし私は、別の事実にも目が留まった。例えばそれは、以下のくだりである。

《私は、大学生時代には一度もバイトをしたことがない》

《(入学祝いにクルマを買ってもらうという)両親としたこの約束を、実行に移してもらうことにした。大学に入学した当初は母のソアラを借りて乗っていたものの、当時最も人気があってカッコいいと言われていたBMW635を買ってもらうことに、とうとう成功した。(中略)新車で買ってもらったBMW635は、当時の価格で1000万円以上した》

(『溶ける』(2013年発行、井川意高著、双葉社))

 
この部分を読んで思ったのは、やはり金銭感覚がずれているのではないかということである。《上場企業の経営者の息子だったとはいえ、皆さんが想像するほど華やかな学生時代ではなかったと思う》という述懐もあるが、おそらく百円、千円にこだわるような生活ではなかっただろう。金銭感覚という意味では、学生時代からほころびが出始めていたのではと、私には感じられた。《カジノに行き始めた当初、せいぜい私は100万円単位の勝負しかしなかった》とも述べられているが、一般に100万円は大金であり、ギャンブルの入り口に立った時点で既に正常な感覚からはずれているように思う。

 
性格や遺伝的なことを横に置けば、ギャンブルに溺れないための堅実な対策は、生活で扱うお金の単位を小さくしておくことだと考える。百円、千円、いや十円にもこだわって買い物をしていれば、ギャンブルに走ることはまずないだろう。実は私自身、興味を持った対象にのめりこむタイプだと自認しているので、破滅型の因子を密かに持っているような気がする。ゆえに余計に、普段から堅実な金銭感覚を心掛けているつもりである。

(6月7日記)

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