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2014年4月 9日 (水)

『刑事コロンボ』鑑賞の愉しみ

 これまでに書いたことのある将棋のトップ棋士・羽生さんの応援に加え、妻と共有している趣味的なことがある。それが『刑事コロンボ』鑑賞である。『刑事コロンボ』は私自身、子どもの頃から断片的に作品を観ていたが、それほど強烈なインパクトは感じていなかった。それが十年ほど前に妻と一緒に観始めたところ、二人してはまり、全ての作品を観終えてしまった。

 
それで『刑事コロンボ』は“卒業”したはずだったのだが、最近テレビでまた放映されているのに気づき、録画し再生して驚くことになった。テレビ画面で作品のタイトルを見ても、どういうストーリーだったが殆ど思い出せないのである(妻も同様)。殺人のトリックや種明かしが際立った幾つかの作品は覚えているが、そうでないものが多数あった。「この作品、どんな話だったっけ?」と、妻と顔を見合わせる。自分の記憶力の無さに幻滅するのだが、その一方で、まるで新作映画を観るような喜びが復活するのである。

 
『刑事コロンボ』の魅力は、主演のピーター・フォークにあるのだが、この刑事ドラマは通常の刑事ものとは逆の作りになっている。例えば、誰が殺人犯かは話の最初に明らかになる。なぜならば、まず殺人事件の様子が流れるからである。視聴者が、「誰が犯人だろう」と謎解きをする形を取っていない。また、コロンボという刑事が、髪はぼさぼさ、服はよれよれの冴えない人物として設定されている。普通であれば、刑事はハンサムで切れ者な人物が想像されるが、視聴者の常識の逆を行っている。秋元康さんの表現を借りれば、『刑事コロンボ』は《予定調和を崩す》ことに成功しているのだろう。

 
と、ここまで気ままに『刑事コロンボ』評を書けば、お気に入りの作品の一つや二つ言及すべきところだと自分でも思うのだが、作品リストの紙を管理している妻があいにく外出中のため、諦めることにした。やはり、作品のタイトルもストーリーも、文章に書けるほどには記憶していないのである。この調子だと、十年ほどしたら、また新しい気持ちでコロンボの姿をテレビで観ることになりそうだ。何度も飽きずに観ることができるというのも、鑑賞の一つの愉しみだと思う。

(4月9日記)

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