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2014年3月12日 (水)

あの震災から3年が経って・・・

 昨日は恥ずかしながら、テレビの番組欄を見て東日本大震災から3年になることを知った。月日の経つのは早いものだと思う。あの日、私は前勤務先があった東京・大手町で仕事をしていた。職場の高層ビルは堅牢だとされていたが築数十年が経過しており、15階のフロアにいた私は、ビルが大きくゆっくりと左右に振られるたびに、ポッキリ折れてしまうのではないかとビクビクしたのを覚えている。今は生きているだけで幸せだと思わずにはいられない。

 
テレビ番組は震災特集が数多く組まれていた。黙祷を捧げる人、亡くなった家族のことを思う人が数多く映し出された。3年程度の年月では、癒えない心はきっとあるだろうと思う。かなり不謹慎かもしれないが、私はこの日、少し違うことを思い出していた。シチュエーションは全く異なるが、愛する人を失った者の心境について書かれたものである。以下、引用してみたい。

《私が思い出したのは、以前に週一度英会話を習っていたカナダ人の女性の、日本人の恋人が事故で亡くなったときに、彼女からいわれたことであった。それは、彼女は、葬式につづく初七日などの一連の儀式にずっと参加していたのだが、「私は苦しくて早く彼のことを忘れたいのに、なぜ日本では、あんなにしつこく思い出そうという儀式が続くのか」というものだった》

(『世間の目 なぜ渡る世間は「鬼ばかり」なのか』(2004年発行、佐藤直樹著、光文社))

 
大切な人を偲ぶことをよしとする人が多いなかで、辛い出来事は忘れ去りたいと思う人も世の中にはいるのである。全体から見れば少数派かもしれないが、こういうことは知っておいてもいいのではないだろうか。私には、このカナダ人女性の気持ちも分かる気がする。過去を振り返らずに、ただ前を向いて歩きたい人の気持ちにも寄り添える心を持っていたいと思う。

 
脱線気味ながら付け加えたいエピソードがある。震災後は「頑張ろう」が一つの合言葉になっていたが、それをしんどいと感じる次のような受け止め方もあった。人の心はそれぞれで、辛い気持ちの人にどういう言葉をかけてあげるのがよいのか、万人向けの正解はないことがよく分かる。被災者の方々の複雑な思いを、外から決めてかかることは避けるべきだろうと思う。

《女川まで連れていってくれたタクシーの運転手は、破壊され尽くした町を丘の上から眺めながら僕らにこう言いました。「がんばろう東北、なんて言うけれど、こんな状態になってがんばれるわけがない。がんばろうなんて軽く言わないでほしい」》

(『ためらいのリアル医療倫理 命の価値は等しいか?』(2011年発行、岩田健太郎著、技術評論社))

(3月12日記)

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