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2014年1月20日 (月)

人と違うということ(その1)

 二十代の頃、自分の性格について真剣に悩んだことがあった。“回避性人格障害”という言葉を知り、自分はその病気ではないか、と思ったのだ。人と会うのを億劫がることが多くなったので、思い切ってメンタル専門のクリニックに行き、先生(医師)に苦しい胸のうちを話した。そうすると、拍子抜けしたことに、即座に「あなたは回避性人格障害ではありません」と言われ、ホッとしたことを覚えている。

 
日本は、横並び意識と同調圧力が非常に強い社会である。幼い頃から、「みんなと仲良く」「みんな一緒」を大切に思う価値観が醸成される。その結果、大人になっても、人と違っていること、平均から外れていることを恐れる人が圧倒的に多い。みんなと同じでないと、不安になってしまう。「最近は日本でも、個人主義が当たり前で、横並びの傾向は薄れている」と言われるかもしれない。が、ここ数年ですっかり定着した感のあるKY(空気を読めない)という言葉から分かるように、協調性が非常に重視される社会だからこそ、「あの人は、空気が読めない」という評が広く通用しているのだと思う。

 
私のように中途半端に知識をかじると、自分の状態を深刻視して、病気ではないかと疑ってしまう。しかしよく考えると、人と違うということは、個性の範疇におさまることも多いのではないか。今はそのように感じている。『アドラー心理学 シンプルな幸福論』(2010年発行、岸見一郎著、ベストセラーズ)にこんな興味深い話が紹介されている。

《私が高校生の時、私に友人がいないことを心配した母が、担任の先生にそのことについて相談をしました。先生は、いいました。「彼は友だちを必要としないのです」。これが親を大いに安堵させ、その話を母から聞かされた私もなるほどそんなふうに見ることができるのだ、と驚きました。友人がいないということに、先生は違う光を当てたのです》

 
その先生は、著者をそういう個性を持った人間であると、無条件で肯定したということだろう。母親の質問に動じることなくきっぱりと説明した先生を、私は素晴らしいと感じた。私がこのエピソードから思いを強くしたこと。それは、「あの人は変」「変わっている」と、ネガティブなニュアンスで言われることがあっても、真に受け過ぎず、冷静に多面的に眺めるようにしよう、ということである。

(1月20日記)

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