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2014年1月 3日 (金)

喧噪、喧噪、喧噪

 私は、どちらかというと静けさを好むタイプだ。出歩くなら、人通りの少ない場所の方がいい。そんな私が常日頃感じるのは、買い物をするスーパーの店内の騒々しさ。最寄りのスーパーでは、学校の運動会を思い出させる曲や、ロック・ポップなどが営業時間中延々と流れており、音楽のない時間帯は殆どないと言っていいほどだ。聴きたくもない音楽をずっと浴びていると、考えなしに買い物かごに商品を入れるよう洗脳されているような、嫌な気分になってくる。私はただ、静かに欲しいものを安く購入する買い物を楽しみたいだけだ。なのに、そんなささやかな願いすら叶えられない。

 
「そんなに音が嫌いなら、音のしないお店に行けばいいではないか」と言われるかもしれない。しかし、近所に5つほどあるスーパーは、どこも似たり寄ったりの状況であり、“無音楽”を売りにしているスーパーはないのである。もし、“音楽を止めてください”などとスーパーに苦情を言おうものなら、怪訝な顔をされたあと、「そうですか。でも、そんなことを言うお客さんは他にいませんが」と言われるのがオチであろう。日本は“みんなの意見”が大好きな民主主義の国であり、少数派の意見は、全く正当性がないかのごとく、無視されたり抹殺されるのがお決まりのパターンである。

 
ここで勝手ながら、哲学者の中島義道さんにご登場頂くことにしよう。中島さんは、私よりはるかに音に敏感であり、うるさい音の“音源”(企業や役所など)に真っ直ぐ抗議をする行動派だ(詳しくは、中島さんの著書『うるさい日本の私』(1999年発行、新潮社)をご参照ください)。中島さんは、音にまみれた日本を《無音を嫌う文化》と称しておられるが、その通りという気がする。日本人の多く(圧倒的多数派)は、音がない状況を、何か欠けていると物足りなく感じて、埋めてしまうのだろう。

 
どうして新年早々、こんな愚痴めいたことを取り上げたかというと、年の瀬に買い回りをしたスーパーの音があまりに酷かったためだ。普段より、まとめ買いに来たお客さんでごったがえしているところへ、何人もの店員が、周りのお客さんの位置も確認せず、急に大声で「いらっしゃい!いらっしゃい!」と連呼するものだから、頭に響いて仕方がなかった。このように、年末に遭遇したのは、店内の音楽と店員の大声という最悪の組み合わせであった。私は音がなくても、買うものは買うし、買わないものは買わない。そういう人間の声に気づいて配慮してくれる余裕は、今のご時世ないものだろうか。

(1月3日記)

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