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2014年1月22日 (水)

人は平然と手の平を返す

戦争を題材にした話を続けてきたので、今日もその延長線で書こうと思う。テーマは「人は平然と手の平を返す」ということ。太平洋戦争を肯定的に捉えていた多くの日本人が、敗戦を境に時を置かずにサッと手のひらを返したといいます。当時まだ子ども・少年だった世代が、大人の変節ぶりをこれでもかという位に書籍に書き残されています。

①『人生とは勇気』(2012年発行、児玉清著、集英社)

《日本は勝つ、と、ことあるごとに力説していた先生たちも、(玉音放送があって)負けと決まったらにわかに、負けるような気がしていたんだ、などと言い出す始末》

②『逆境を生きる』(2010年発行、城山三郎著、新潮社)

《私は昭和二十年春、海軍に少年兵として志願しました。あの頃の少年たちの多くは、自分たちの生きがいは国のために戦って死ぬことだ、それ以外の生き方は考えられない、と思っていました。国のために、あるいは天皇のために、戦って死ぬことが最高の生きがいだと教育もされましたし、世間もそれを当然とする雰囲気でしたから、私も十七歳の時に、反対していた父が先に軍隊に取られたのをもっけの幸いに、母を口説いて志願入隊したのです》

《(戦後に)そして私たちを待っていたのは、悪罵と嘲笑でした。「軍隊に志願して入った」という理由で今度は非難される時代になったのです。しかも、私たちに号令をかけた大人たち、教師たちは、豹変するか、あるいは自信をなくしてしまって、終戦前のことには一切口をつぐんでいる》

③『いい人ぶらずに生きてみよう』(2010年発行、千玄室著、集英社)

《(終戦後)大学へ復学して一番びっくりしたのは、先生たちの態度でした。出征するときには、泣いて送り出してくれた教授なんてひとりもいなかった。万歳! 万歳! 元気で行ってこい、お国のために死力を尽くせよ! みんなそう言って、それが口先だけじゃなく、けっこう本気な雰囲気だったのです。ところが、帰ってきたら、俺、そんなこと言ったことあるか? もともと戦争には反対やったんだ、君たちが戦争に行ったのは間違いだったと思う、なんて言って、すっかり民主主義者になっている。自分こそがデモクラシーを唱える男だと、堂々と講義する教授までいる。これにはびっくりを通り越して、もうあほらしくなってきました》

③『仕事力 金版』(2010年発行、朝日新聞社)

田原総一朗さん(ジャーナリスト・評論家・ノンフィクション作家):

《(終戦を迎え)2学期に登校したら、教師が「平和がいい」のだと言う。国のために死ぬことが尊いと言っていた同じ人が。衝撃でした。僕は混乱し、何も信じられず、そしてこうなったら、自分で考えて生きていかざるを得ないと思ったのです》

仲代達矢さん(俳優・演出家):

《中学1年生で815日の終戦を迎えた時には、大人たちの豹変ぶりにただただ強いショックを受けました。昨日まで厳しい顔で鬼畜米英と言い続けていたのに、あの日一日にして民主主義を唱え、親米派を語り平和を標榜する。私はわずか14歳にして大人に対する強い不信感を抱くようになります》

④『今日の芸術』(1954年発行、岡本太郎著、光文社)

《この国の文化には責任の所在がどこにもない。奇妙なことです。戦争ちゅう、悲壮なおももちで、聖戦を一手にひきうけたような勇ましさだった文化人が、終戦、とたんに、まるではじめから戦争反対者だったようなことを言う。-そう言えるという雰囲気はおどろくべきです。(中略)戦争に協力した、しないの事実はべつにしても、おのれの責任ということを抜きにして、文化なんて、まったくチャンチャラおかしい》

⑤『思考力』(2013年発行、外山滋比古著、さくら舎)

《(英語があぶない敵性語と見られるようになった)戦争がはじまる前、東京高等師範学校の英語科に進学した。(中略)(軍隊から)帰ってきたら、世の中がまるで一変している。だれもが「これからは英語の時代だ」と叫んでいるではないか。信念もないのだから、変わり身も早い》

⑥『絶望の精神史 現代日本のエッセイ』(1996年発行、金子光晴著、講談社)

《今度の敗戦にしても、人心の裏返りの早さは、みごとといってもいいくらいだ。あれほど、アメリカやイギリスを憎み、米英にけものへんをつけて「犭米犭英」などと書いていた連中が、とたんに親米・親英の旗手になった。また、皇居に足を向けては寝なかったような人間が、舟を乗り換えるように共産党に大量入党した》

《戦争に気乗りせぬ僕の一家を白い目で見ていた村人たちも、まのあたりに敗戦を見ると、すっかり態度を変え、僕を予言者とでもおもったのか、縁先にすわって、「これからどうなるね」などと、聞きにくるものもあった》

⑦『加藤芳郎のまっぴら人生』(2006年発行、加藤芳郎著、産経新聞社)

橋本龍太郎さん(通産相、1995813日):

《私は小学二年生のある日突然、敗戦を迎えましたが、同じクラスに父親が戦死した子がいました。その子の家には英霊の家と札がかかっていて、みんなおじぎをして通り、戦没者の家族に敬意を払っていました。ところが、昭和二十年の夏休みが終わって新学期が始まった途端、扱いが変わり、それまでもてはやしていた先生が、戦死者は侵略者の手先みたいな言い方をする。子供心に情けなかった》

当時、物心ついた子どもや少年の多くは、大人達の心変わりを目の当たりにして、人間不信に陥り、人生観も大きく変わったのでしょう。人間とはそういうあやうい存在なのだ、心は移ろいやすいのだということですが、この人間の特質は、私たちが賢明に生きていく上で知っておいてよいことだと私は感じています。ここで、戦後間もない1946年に書かれた坂口安吾の有名な『堕落論』の一節を思い出す方がいるかもしれません。

《半年のうちに世相は変った。(中略)人間が変ったのではない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ》

 平成の今の世も、人間の本質的な部分は変わっていないと思います。加えて、日本人は“キョロキョロする”国民性を持ち、揺るぎなき信念や主義主張など見当たらないのですから、状況次第ではどうしたって手の平は返ってしまうのです。

(1月22日記)

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