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2014年1月 9日 (木)

我が家の夕食前の儀式

 1か月ほど、妻と二人でハマっているものがある。グリーンスムージーである。野菜や果物をジュースにして飲むもので、本や雑誌が取り上げるなど、ちょっとしたブームになっているようだ。我が家では昨年末に家電量販店でミキサーを買って、健康増進のために毎日昼時に作って飲んでいる。今日は、初めてパイナップルを食材に使ってみた。甘味の強い果物なので、非常に美味しく出来上がった。満足!ちょっと手間ひまかければ、楽しめるものである。

 
ハマっているものではないが、やはりこの1か月ほど、妻と二人で始めた儀式がある。これは夕食直前に行なうもので、「いただきます」と言う前に、手を合わせて「今日も二人で一緒に食事ができることを感謝します」と一緒に唱和するのだ。傍から見れば、きっと奇異に映るだろう。

 
これはつまり、こういうことだ。明日、二人のどちらかが事故や災害で死んでしまうかもしれない。明日のことは分からない。そうなってからでは、「夫婦で楽しい時間を共有できなかった」と悔いても遅すぎる。だから、毎日毎日、一緒でいられることを感謝し、確認する時間を持つようにしたのだ。そうすれば、万が一不幸が襲っても、「昨日、ちゃんと楽しい時間を過ごせたな」と悔いなく振り返ることができるだろうと考えたわけである。

 
仏教の視点で言えば、刹那(瞬間の意)ということになるかもしれないが、まずは今日という時間を大切に生きるということだ。「今日という日はどうだったのか(楽しめたのか)」ということを、自分に問いかける習慣を取り入れた、ということである。

 
世間では、夢、希望、自己実現、幸せといった言葉が、未来の時間軸で語られることが多い。しかし私は、今とか今日という時間こそ、もっと吟味されてしかるべきだと思う。そう考える背景を少し記してみたい。

 
『人は死ねばゴミになる』(1988年発行、新潮社)という著作とタイトルで知られる元検事総長の故伊藤栄樹さん。1988年に盲腸がんで63歳の若さで永眠されたが、『秋霜烈日 検事総長の回想』(1988年発行、朝日新聞社)には、次のようなくだりがある。

 
《役人を辞めたら、長年苦労ばかりかけてきた妻へのせめてもの罪ほろぼしに、外国旅行にでも引っぱり出そうと思っていたのが、私の病気でだめになってしまった。私の過去の旅行記では仕方がないが、せめてこれでも読んでくれたまえ》

 
似たような例をもう一つ挙げておきたい。『妻を看取る日 国立がんセンター名誉総長の喪失と再生の記録』(2009年発行、垣添忠生著、新潮社)には、次のように書かれている。

 
20074月、私は国立がんセンターの総長を定年退職して名誉総長となり、多少の時間のゆとりができた。今後は国内外をあちこち旅行しよう、二人で好きな絵を描いていこう、と思っていた矢先に、妻は手の届かないところにいってしまった》

 
いずれの事例からも、大切な教訓を得ることができる。それは、幸せを後生大事に取っておいてはいけないということだ。将来に期待するのはいい、夢を持つのももちろんいい。しかし、将来に傾斜しすぎて今という時間をおろそかにすると、描いていたシナリオが崩れた時に、残念なことになってしまう。不確かな将来のために、今を犠牲にしすぎてはいけないのだ。“享楽的になれ”ということではないが、私は一日一日をもっと楽しむことが、広く実践されていいと思う(特に、仕事に忙殺されがちなビジネスパーソンの場合は)。

 
最後にもう一つ、関連する内容を別の本から引用したい。日本のサッカーとフットサルで一時代を築いた三浦知良さんは、こう書かれている。なるほどと思わせる内容だと思う。

 
《「カズ、人生を楽しんでるか?」。一流選手たちは必ずこう聞いてくる。楽しみなくして良いプレーもない》(『やめないよ』(2011年発行、新潮社))

(1月9日記)

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